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2011/04/10

大地震後、そのあと

春分の日を含む3連休の真ん中の1日に実家に帰ってみた。

現地に向かうとき、姉と同じ便の高速バスに乗れたので、
「なんか料理いっぱい作ってるっぽいよ。」
「まだ余震もひどいって言ってるから、まさか天ぷらとかは
揚げてないよねー」
「まさか揚げ物はしないでしょー」
と話していたのに、実家に着いたら玄関先で油のにおいが。
天ぷら山盛り揚げていたよ。
母の危機意識がよくわからない。
そのほかにも、米を7カップも炊いてちらし寿司作ってたし、
完全にいつもの「お彼岸」のノリであった。

実家から歩いて5分の鹿島神宮の大きな鳥居が崩れて
すっかり片付けられた跡とか、ばらんばらんになった石の灯篭が、
江戸時代とかけっこう古いものだったりとか、鹿島神宮の中の
被災状況の写真は撮ってきたけど、
津波の跡だったり、電柱がナナメになってたり、液状化の跡やら
道路の舗装がめくれてたりしてたのは、「被災地観光」みたいで
撮れなかったなあ。
実家があるのは縄文時代から人が住んでる台地の上なので、
津波の被害はなかったのだが、台地の下は、
鹿島港が内陸掘り込み式の港であることがたたって、
海の見えない奥のほうまで津波が来たそうだ。
高速バスが下道に下りたあと、その津波被害の一部を
垣間見た。
港のそばに置いてあったはずの貨物コンテナが、
流されて田んぼの中の水路に斜めにささっているのが見えた。
ちなみに台地の下でも、昔から集落があった場所は
液状化の被害が比較的少なかったそうだ。
新しく宅地化したところは、浦安のような埋立地ではなかった
ものの、もとは田んぼや湿地だったわけだからねー。
台地の上でも、ブロック塀が崩れたり、屋根の瓦が落ちたり
ずれたりしたところは多かった。
お彼岸だったので、お墓参りも行った。
墓石はのきなみ倒れたりずれたりしてたそうだが、
お彼岸前に皆とりあえず元に戻したらしく、土がついちゃってる
お墓とかもあった。付属品の灯篭とかは倒れたり壊れたまま
のお墓が多かった。これから石屋さん大もうけだろうなあ。
ちなみに7年前に死んだ父の墓にはまだ墓石を建ててない
ので、うちの墓は被害ゼロ。貧乏でよかった(笑)

仕事のほうは特に変化なし。
つか、
これがこの会社クオリティだよね、もともと
というレベルのまま。
「せっかく作ったBCPも、何の役にもたたない」ということは
よーくわかった。
データセンターが大災害で破損することは想定してても、
停電するかもしれないなんて想定してなかったからね。
えらい人たちは、大停電になったらもうどうしようもないから
何もしないみたいなことを言い出している。
実際作業する私らは、
停電したらデータセンターに自転車でかけつけるかねー
とか、
ITのためのITじゃない対応策」を検討したりした。
想定できる状況を洗い出して、出来る範囲の対策は考えるでしょ、
エンジニアならば。コンサルタントはどうか知らんけど。

それから、いち早く被災地支援活動を言い出して会社に文句つけられた
同じ派遣会社の同僚が、会社を去ることになった。
業務終了してすぐボランティアに行って来るんだって。
さすがの行動力だ。
私は上にも書いた夏のサーバたちが心配ではあるので、
夏に何が起こるか見届けようかなぁ、と思う。


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