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2011/04/10

そうなるように努力する

茨城県の沿岸には原子力関連の施設がいくつかあり、
私たち家族も、水戸の祖父母の家に行くときは、大洗の
動燃大洗工学センター(当時)の横を通ってたりしたので、
原子力はわりと身近にあるものだった。
ちなみに、旧動燃の正しい名称は
動力炉核燃料開発事業団。
「原子力」じゃなくて「核」。
大洗の国道バイパス通るとき毎回見てたので、
「つまり、核燃料あるんだよねーここに」
と、中学くらいで思っていたなー。

郷里を離れて東京に出てきた後、東海村で臨界事故が起こり、
事故のあらましがわかってきたとき、
まずは「バ、バケツで?」と思ったが、一方で
もっともっとひどい事故が起きたら、私たちも郷里を
捨てざるを得ないのかもしれない、とうっすら考えた。
同じ県内で放射性物質があんなテキトーに扱われていると
わかったし。

今回の震災で事故おこりまくりの、福島の原発近隣の人が
避難するときに
「安全だと言ってたから原発たてたのに」
と言ってた気持ちはよくわかる。
でもこうも思う。
どんなに対策とってても、原子炉の中には危険なものが
がっつり入ってるんだから、絶対安全はありえない。
でなきゃ、東京電力なのに東京から離れたところに
原発建てないよ。
地元の人はそういうことも全部わかってて、万が一のときでも、
東電や国が被害を最小限におさえてくれると思ってたから、
ダメダメ対応に絶望したんだろうとは思うけど。

東京に住んで働いている私は、危ないよね、安全なわけないよね、
しかもその不安を遠いところに背負わせてるんだよね、と思いながら
電力を消費していたつもりだった。
だから福島原発地元の人たちは、東京電力と同様に私たちを非難して
もらって全然かまわない。
あくまで、原発で被害を蒙っている福島の人は。

でも、福島の人になったつもりの人のあれこれ言うのは
なんか全然響かないよ。
言うのは自由だけどねー

原発は危なそうなところから止めていけばいいと思うぞ。
ただし代替の電力を確保しながら。
しかも、原発は止めてもその後片付けるのに時間がかかる
し、お金もかかるから、計画立ててやっていかなければ。
少なくとも、今後原発続けていくというなら反対するよ。
これが私の意見。
そうなるように努力する。
それだけ。

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発電所について私が知りたいこと

計画停電がなくなったのは、地震で止まってた郷里鹿島の
火力発電所が次々復活したことも大きいと思うのだが、
そんなことは誰も言わない。
東京電力の火力発電所よりだいぶ早く、3月25日には、
同じ臨海工業地帯にある住友金属の工場用の火力発電所が
復活して、発電した分全部東電に送ってるんだけど、
そういうニュースもぐぐらないと見つからない。

原発、原発、原発、そればっか。
電気がないと仕事にならない私らは、まずはこれからの
電力供給状況を知りたいんだが。

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大地震後、そのあと

春分の日を含む3連休の真ん中の1日に実家に帰ってみた。

現地に向かうとき、姉と同じ便の高速バスに乗れたので、
「なんか料理いっぱい作ってるっぽいよ。」
「まだ余震もひどいって言ってるから、まさか天ぷらとかは
揚げてないよねー」
「まさか揚げ物はしないでしょー」
と話していたのに、実家に着いたら玄関先で油のにおいが。
天ぷら山盛り揚げていたよ。
母の危機意識がよくわからない。
そのほかにも、米を7カップも炊いてちらし寿司作ってたし、
完全にいつもの「お彼岸」のノリであった。

実家から歩いて5分の鹿島神宮の大きな鳥居が崩れて
すっかり片付けられた跡とか、ばらんばらんになった石の灯篭が、
江戸時代とかけっこう古いものだったりとか、鹿島神宮の中の
被災状況の写真は撮ってきたけど、
津波の跡だったり、電柱がナナメになってたり、液状化の跡やら
道路の舗装がめくれてたりしてたのは、「被災地観光」みたいで
撮れなかったなあ。
実家があるのは縄文時代から人が住んでる台地の上なので、
津波の被害はなかったのだが、台地の下は、
鹿島港が内陸掘り込み式の港であることがたたって、
海の見えない奥のほうまで津波が来たそうだ。
高速バスが下道に下りたあと、その津波被害の一部を
垣間見た。
港のそばに置いてあったはずの貨物コンテナが、
流されて田んぼの中の水路に斜めにささっているのが見えた。
ちなみに台地の下でも、昔から集落があった場所は
液状化の被害が比較的少なかったそうだ。
新しく宅地化したところは、浦安のような埋立地ではなかった
ものの、もとは田んぼや湿地だったわけだからねー。
台地の上でも、ブロック塀が崩れたり、屋根の瓦が落ちたり
ずれたりしたところは多かった。
お彼岸だったので、お墓参りも行った。
墓石はのきなみ倒れたりずれたりしてたそうだが、
お彼岸前に皆とりあえず元に戻したらしく、土がついちゃってる
お墓とかもあった。付属品の灯篭とかは倒れたり壊れたまま
のお墓が多かった。これから石屋さん大もうけだろうなあ。
ちなみに7年前に死んだ父の墓にはまだ墓石を建ててない
ので、うちの墓は被害ゼロ。貧乏でよかった(笑)

仕事のほうは特に変化なし。
つか、
これがこの会社クオリティだよね、もともと
というレベルのまま。
「せっかく作ったBCPも、何の役にもたたない」ということは
よーくわかった。
データセンターが大災害で破損することは想定してても、
停電するかもしれないなんて想定してなかったからね。
えらい人たちは、大停電になったらもうどうしようもないから
何もしないみたいなことを言い出している。
実際作業する私らは、
停電したらデータセンターに自転車でかけつけるかねー
とか、
ITのためのITじゃない対応策」を検討したりした。
想定できる状況を洗い出して、出来る範囲の対策は考えるでしょ、
エンジニアならば。コンサルタントはどうか知らんけど。

それから、いち早く被災地支援活動を言い出して会社に文句つけられた
同じ派遣会社の同僚が、会社を去ることになった。
業務終了してすぐボランティアに行って来るんだって。
さすがの行動力だ。
私は上にも書いた夏のサーバたちが心配ではあるので、
夏に何が起こるか見届けようかなぁ、と思う。


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