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2007/04/16

ノスタルジーのありどころ

さいはての契約社員でなんちゃってエンジニアで
造園にも建築にも縁もゆかりもない私だが、
なぜかとても興味深く読ませていただいている
こちらのブログで紹介されていた
「僕たちの大好きな団地」
と、
「工場萌え」
をやっと購入できた。紀伊国屋に一度行ったけど見つからなくて
紀伊国屋のウェブページで事前に棚番号までチェックしてやっと発見。

「団地」はなんだか食い足りなかったわー。
とにかく写真が少ない。
「団地百景」とかのweb pageを知ってる人なら、もっと詳細な
情報やキレイな写真を(1200円も払わずに)見ることができるし。
そして、やっぱし編集の狙いが「昭和ノスタルジー」なんだよね。
阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスは、それぞれ好きなように増改築してる
ところがまたいいんじゃないか。それを統一感がないから「残念」って。
長い間人が住んでたらいろいろ変わってくるのが建物というものなのでは。
とか、つっこみたい部分もある。
特に第1章「なつかしの昭和30年代-2DKの誕生-」は、
以前南阿佐ヶ谷の本屋で見つけて相方が買った、
「団地2DKの暮らし」という本と同じ資料が使われていて、
内容もほぼ同じ。書いてる人が同じで、
編集側から同じ内容を求められたんだろうから
しかたないとは思うけど、私としてはその章まるごと
すでに持ってる情報だったので、なんか損した感じ。
使い回しネタで埋めるんだったら、素敵な団地写真をもっと
カラーで大きく載せてほしかった。
そういう意味で第3章「団地カタログ」が2色ページだったのも残念。

この本(ムック)について、ノスタルジー入っちゃってどうもなー、
という意見も出てるのだけど、手に入れて見てみたら確かに、
私にも納得いかないわ、このノスタルジー。

「工場」のほうはそういうノスタルジーを感じさせない
構成、素敵な写真満載で、見ててわくわく、すごい楽しい。
しかし、編集の意図とは裏腹に、
なんと私は「団地」よりこの「工場」のほうに
懐かしさを感じたのだった。
私の郷里「鹿島」の臨海工業地帯がかなりのページ数をさいて
とりあげられていたのだよ。
工場鑑賞家にとってそんなに素晴らしいとこだったんだなー
鹿島臨海工業地帯って。
ものごごろついたころから近所(ただし自動車で)にあったし、
ほかの工業地帯もあんなもんだと思ってたので、
全然意識してなかった。

読み進めながら、
そうそう、港公園からはもう工場しか見えないしー、
最初はなかった展望台が建ったときのこと覚えてるぞ!
当時、Y字形の港の股のところに展望台ってちょっと…
と思ったんだよねー。
などと、しょうもない思い出にひたってしまった。

団地より工場が懐かしいのも必然といえるかも。
私の育った地は田舎だったので、団地は近所になかった。
いくら工業地帯が建設されていたとはいえ、
関東平野のはじっこの、何もないだだっ広い土地(地価激安)に
わざわざ集合住宅を建てる必要はないもん。
自宅から徒歩では行けない遠いところ(工場の近く)に
いくつか小規模な団地はあるけど、同じ学校には団地の子って
いなかった。
半面、そんな何もないだだっ広い土地(砂丘)で陸の孤島だったからこそ、
港が掘られ広大な工業地帯が作られたとも言える。

そんなわけで団地はなかったが、工場には不自由しない幼少期を
過ごしたので、私にとってノスタルジーの対象は団地より工場であると
あらためて認識した次第である。
今でも実家からの帰り、高速バスの車内から、
住金(住友金属)製鉄所のあたりのきれいな夜景を見るのが好き。
たまにフレアスタックから炎があがってるのを見つけると
「ラッキー」と思ったりして。
この本の帯についていたチェックリストに入ってた、
「団地」はもちろん「鉄塔」とか「ガスタンク」とか「パイプ」とかも好きだしね。

そんな私がなぜノスタルジーの助けなしに団地好きになったのかは、
次回説明しよう。って続くのかよ。

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